大阪地方裁判所 昭和47年(わ)2476号 判決 1974年1月30日
主文
被告人は無罪。
理由
第一本件公訴事実は
「被告人は、業務その他正当な理由による場合でないのに、昭和四六年三月一七日京都市左京区北白川久保田町二九番地の四の蜂谷隆康方から大阪市北区梅田町五三五番地の二の大阪中央郵便局に至る間、刃体の長さ約一五センチメートルおよび約一四センチメートルの通称「牛刀」と称する刃物二丁(昭和四八年押第一八〇号の1)を携帯したものである。」というものである。
第二取調べの各証拠のうち、後記第三以下の事実認定に供した証拠の標目。<略>
第三被告人の具体的行為。
一被告人は、昭和四三年四月京都大学工学部に入学し、昭和四四年五月ごろ大学紛争の終結に関する事項等を内容として出された中央教育審議会の答申と、将来予想される大学運営に関する立法措置を「粉砕」することを目的として発生した大学紛争における闘争運動の一環である京都大学「全学バリケード封鎖」行動に参加したとき等に、同じ京都大学工学部の同学年であつた奥平純三とねんごろとなり、その頃から同人の間借先である京都市左京区北白川久保田町二九番地の四の蜂谷隆康方の六畳位の部屋と流し台のついた二畳位の板の間の独立した離れに出入りするようになつた。そして、当時、純三と同所で間借をしていた同人の実兄で京都大学工学部電子工学科に在籍していた剛士とも昵懇となつたが、純三とは互いに名前の呼び捨てをする間柄にまでなつていた。そのようなことから昭和四六年二月二〇日ごろ、剛士から同人が間借先を出たあと純三と一緒に間借をしてはどうかと誘われて、早速に奥平兄弟の間借先に荷物を運び込み剛士の二月二六日羽田出発までの一週間位を前記蜂谷方離れで剛士、純三と寝食を共にした。その約一週間の間に剛士から同人が結婚してベイルートへ行きパレスチナ・ゲリラのPFLPと接触を持つたうえでPFLPの義勇軍に志願をするという話を聞かされた。
二被告人は、剛士の出発二・三日前に剛士から同人が三〜四〇センチ四方位の大きさのダンボール箱に詰めた電気関係の専門書を後日ベイルートの方へ送つてくるように頼まれた。そのダンボール箱の上に長さ二〇センチメートル位の長方形の紙箱が二個置かれており、その紙箱の一つの蓋には「包丁」と書かれており、蓋のない紙箱からは肉切り包丁様のものが見えた。
三被告人は、剛士から前記二本の包丁様のものについて「これはいい品物で向うのゲリラの人にみやげとしてブレゼントしたい。自分が持つて行つてもよいが、ハイジヤック防止の検問にかかると面倒なことになるから、後でこの本と一緒に送つてくれ。」と言われ、送り先として「レバノン・ベイルート・ハムラストリート・ニューハムラホテル二一号室・タナカヨシオ」と書いたメモ紙を渡され「ここに一〜二カ月間は帯在している。」と聞かされて、本の入つたダンボール箱と二本の包丁様のもの(以下本件牛刀という)を預り、本件牛刀二本は被告人の本棚の本を立てかけた前の隙間に置いていた。
四被告人は、本と本件牛刀二本を剛士の出発後間なしに航空郵便小包で、剛士の別名タナカヨシオ宛に送付すると、同人のベイルート到着が遅れた場合、受取人不在となることが考えられたので剛士の出発後一〇日程して航空小包郵便で送付することを考えた。そして、三月一六日の夕方になつて翌日大阪へ本の購入のため出向くことから剛士から預つた本や牛刀を郵送することを思い立つた。しかし、外国宛の小包料金は高いと聞かされ、被告人自身、これまで外国宛の小包郵便を差し出したこともなかつたことから、どの位の品物が、どの位の料金で送られるのか不安な気持も手伝つて剛士からアラブへの土産にすると聞かされていた本件牛刀二本(昭和四八年第一八〇号の1)のほかに、ダンボール箱から嵩張らないパンフレット赤軍No.78の二冊(昭和四八年押第一八〇号の67)・我々の立脚すべき地点と題するパンフレット一冊(同号の15)を取り出し、また剛士が出国以後の目ぼしいニュースの切抜き等をも併せ送付することにし、剛士に送り状を書いていた時、友人増田拓郎(京都大学工学部学生)が訪ねて来たので、同人に奥平さんに小包を送るのだが近況でも書かないかと話し、被告人が原稿用紙に横書きで書いた手紙を渡したところ、増田も被告人の手紙文の下の空白部分にアルバイトの近況や飲み屋「雲助」の近況を書いた。
五被告人は、増田拓朗が手紙を書いている間に、本件牛刀二本を蓋のある箱の方に刃先を交差させる恰好で重ねて入れて箱蓋をし、その上を新聞紙か包装紙のような物てくるみ、その上から前記三冊のパンフレットで巻いて包み、新聞紙の切り抜き・封筒に入れた手紙・現金五、〇〇〇円(一、〇〇〇円紙幣五枚)をそのパンフレットの間に差し挾んで、使用ずみの包装紙でもつて長方形に包装をし、その包装の縦と横をふた巻きか、み巻きしで紐で十文字に紐かけをして荷造りをし、増田に剛士からもらつたメモ書どおりの宛先「レバノン・ペイルート・ハムラストリート・ニューハムラホテル二一号室・タナカヨシオ」と、差出人「大阪市東住吉区大塚町六四・イケダヒロシ」をサインペンで書いてもらつた。そして翌一七日、風呂敷につつんだが、そのままの状態で手に持つたのか明らかでないけれど、タナカヨシオ宛の右小包を持つて蜂谷方から市電銀閣寺道停留所まで徒歩で行き、同所から市電に乗車して西条河原町停留所までいき、阪急西条河原町駅から阪急電車に乗り換え、同電車内では網棚に小包を置いて梅田駅までいき、同駅から徒歩で大阪中央郵便局外国郵便窓口まで行つた。そして、同郵便局係員に郵送を依頼したところ小包の中身を聞かれ、中身はパンフレット等と答え、同係員から航空書留郵便料金として一、四四〇円の支払いを求められ、料金支払後、右小包は大阪中央郵便局受付No.四七六〇として受付けられた。
けれども、数カ月経ても剛士から右小包郵便受領の通知がなかつたので、剛士に問合せの手紙を出したところ、剛士から「小包は受領していない。」という便りがあつた。しかし、郵便局に右小包がどのようになつているかの問合せはしなかつた。
第四本件捜査の経緯。
一昭和四六年三月一七日大阪中央郵便局外国郵便窓口で航空書留小包(書留番号四七六〇)として受付けた受取人(宛先)レバノン・ベイルート・ハムラストリート・ニューハムラホテル二一号室・タナカヨシオ・差出人大阪市東住吉区大塚町六四イケダヒロシの航空書留小包郵便物が、ベイルート局から配達不能として船便で返送され、神戸港に昭和四六年九月一日到着した後、大阪中央郵便局に届けられ、大阪中央郵便局は差出人の所属局である東住吉局に回送し、東住吉局で差出人イケダヒロシについて調べたが、差出人が不明であつたので、再び右小包は大阪中央郵便局に戻され、同局ではこれを特殊郵便部第二外国郵便課に留め置いた。そして同月二二日第二外国郵便課長田中良平は、課長代理藤岡新ら三名を立会わせ、還付不能郵便物として処理するために小包の包装を開披したところ、本件牛刀二本のほかにパンフレット・現金五、〇〇〇円(一、〇〇〇円紙幣五枚)が発見されたので、現金は中央郵便局資金課に、本件牛刀二本は有価物として同局会計課物品係に移譲し、一年間の保管措置を講じた。
二ところが、昭和四七年五月三〇日テルアビブ・ロッド国際空港で奥平剛士らによる乱射事件が発生したことから、右還付不能小包の宛先が、あたかも「ベイルートハムラホテル・タナカヨシオ」であつたことからテルアビブ・ロッド国際空港乱射事件の犯人と何らかの関連があるのではないかという推察かなされた。そして第二外国課長田中良平は、昭和四七年六月一〇日右小包を大阪郵政監察局に送付移譲した。そして、同日、大阪府警察本部警備第一課捜査員が、同局第一部第一課長東谷義雄から銃刀法違反被疑事件の証拠物件として、本件牛刀二本等の任意提出を受けると共に、大阪郵政監察局大阪中央支局司法警察員郵政監察官武岡正之から事件の概要についての事情聴取をおこなつた。
第五以上の認定事実からすると、
被告人の判示行為は、総理府令で定めるところにより計つた刃体の長さが六センチメートルをこえる牛刀二本を包装小包の中身として、京都市左京区北白川久保田町二九番地の四の蜂谷隆康方から大阪市北区梅田町五三五番地の二の大阪中央郵便局に至るまでの間、手にしたものであつて、その行為が刀剣類の不法携帯に該当するものであるかどうかを考えるのに、銃砲刀剣類等所持取締法二二条は、刃体の長さが六センチメートルをこえる刃物を日常生活を営む自宅ないし居室において手にすることは、通常の場合、危険性を伴なわないからこれを許すべきであるが、これらの刃物を業務その他正当の理由によるものでなく、自宅ないし居室以外の場所で持ち歩くときには、容易に多衆の面前等でこれを用い易く、その用い易さが危険を伴なつて社会の平和的秩序を害する虞れがあるから、これが携帯を禁止したものと解される。
したがつて、同法条にいう「携帯」とは、把持の形態の一態様ではあるけれども、所持よりも狭義の概念に属するものであつて、自宅または居室以外の場所で刃物を直接手に持ち、あるいは身体に帯びる等し、これを直ちに使用し得るという支配状態で身辺に置くことを意味するものと考えるべきもので、刃物の用法にしたがつて使用することを目的としない把持の形態でおこなわれる場所的移動の全てまでを意味するものではないと解する。このことは同法二四条一項、二項が「銃砲又は刀剣類を携帯し、又は運搬する者」と明かに携帯と運搬とを異なる把持形態のものとして区別し、規定していることからも首肯できるものである。
これを本件についてみると、被告人は奥平剛士から送付を託された図書の一部および本件牛刀二本を同人の滞在先である「レバノン・ベイルート・ハムラストリート・ニューハムラホテル二一号室」宛に航空書留小包郵便で郵送するために、昭和四六年三月一六日間借先の京都市左京区北白川久保田町二九番地の四の蜂谷隆康方において、これを完全に荷造りし、翌一七日間借先から大阪中央郵便局外国便郵窓口まで本件牛刀二本を中身とした右小包を把持したものであるから、これを目して自己の直接手に持ち、あるいは身体に帯びる等し、直ちに使用し得る支配状態で身辺に置く意思のある把持とは認められず、したがつて同法条に規定する携帯に該当するものとは解し得ない。
そればかりでなく、同法条に規定する「その他正当の理由」とは、具体的にいかなる事由をもつて正当の理由と解するかは必ずしも明かではないが、同法条が所定の刃物を自宅ないし居室以外の場所に持ち歩くことを禁止している趣旨から考察するとき、刃物の把持を開始した行為とこれを持続する様態を観察し、その行為ないし様態の形態を、把持者の内心・外観(物理的、空間)・時間的な関係、その他諸般の事情にしたがつて考察した場合、通常人ならば何人もその把持を首肯するであろう事由・すなわち社会的通念によつてその人と刃物との間に存する支配関係を社会生活上の要求にしたがつて観察した場合に、その把持を犯罪として観察し得ることが理解し得られるかどうかによつて、正当理由の存否が決定されなければならないものと解する。
これを本件についてみるに、被告人は奥平剛士から送付を託された本件牛刀二本を航空書留小包郵便として送付のため完全に荷造りをしたうえ、これを間借先から大阪中央郵便局外国郵便窓口まで把持したものであるから、被告人の内心的な動き、小包の外観的な様態からする物理的な支配の様態を前記認定事実から考察される把持の原因、目的ないし動機、支配権限、その他の諸事情との関係で考察し、これを社会通念に照らしてみるとき、被告人の本件牛刀二本の把持には、それについての正当な理由を有する状態であつたと解される。
(結論)
以上に説明したとおりであるから本件牛刀二本の不法携帯の公訴事実は結局その証明十分でないから刑事訴訟法三三六条にしたがい無罪の言渡をする。
よつて主文のとおり判決をする。
(重村和男)